2001年 1月9日 火曜日

【学習ノート】  自分を責める子ども


    我々の前には理解しがたいことがたくさんある。

 なぜ普通の子、いい子が大事件を起こすのか。なぜ親ですら子どもの心の変化がつかめないのか。なぜ相談してくれないのか。なぜ自分の身体を責めることで解決しようとするのか。

 電車の中で、高垣忠一郎さん(立命館大学)の短い論文「ムカツク、キレルの奥にある子どもの状況」(「子ども白書」1998年版 草土社 所載)を読んだ。

 高垣さんはこの論考で子どもたちを巡るこのような謎を解く鍵を与えてくれていると思う。要点を書き留めておく。

  1. 子どもたちの人間関係が、他人とともにありながら、安心して自分自身でいることが出来る人間関係でなくなっている。

  2. 子どもたちは、他人とともにあるときは、自分自身ではない自分(明るく元気な自分)を演出して自分の居場所を確保しようとしている。つまり仲間はずれにされないように必死に振舞う。だから悩んでいる子はみな「普通の子」としかみえない

  3. だから、学校で明るく振舞っている子どもほど家に帰ればぐったりしている。

  4. 「普通の子」であろうとするばかりに、日常的に、怒りや深いな感情を抑圧せざるをえない子どもたちは、つねにストレスが高まった状態にあり、いつもキレル寸前の状態にある

  5. 子どもたちは常に周囲に自分を合わせることに神経を使っており、自分と向き合って自分を感じることが出来ないでいる。

  6. だから、自分がむかついたりパニックに陥ってもそれがなんであるか自分で説明できない

  7. 周囲の大人は、子どもを客体として支配しようとし、「ああしろ」「こうしろ」とレールを敷いたり、「見捨てるぞ」と脅したりして動かそうとする。

  8. 子どもは一個の主体として尊重されてこそ、「自分の経験や感じていることを大切にして,それに耳を傾けながら,生きることが可能になる」。

  9. 子どもたちは、自分の苦しみを心で悩むことが出来ず、苦しみを衝動的な暴力として行動化したり、身体症状として身体化したする傾向を強めている。

  10. 子どもは薬を与えてくれる存在を求めているのではない。自分の苦しみを受けとめ、苦しみに付き合い、ともに悩んでいる他者とのつながりを求めているのだ。

  11. ところが、親は、子どもの部分的な能力や特性を伸ばすことに関心を奪われ、よいとこも悪いところも含めた丸ごとの子供を一個の人間としてみとめ尊重するような対し方ができなくなっている。

  12. 親からそうした余裕を奪ったのは、競争原理が支配する社会や学校教育だ。競争原理で子どもを見ると子どもの部分しか目に入らない

  13. また、子どもは競争原理によって常にほかの子どもと比べられることによって、常に「あなたはあなたであってはだめなのだ」というメッセージを送られつづける。こうして子どもは「自分が自分であって大丈夫だ」という自己肯定感を喪失する。

  14. 競争原理のもとでは、子どもは「成績不良」や「登校嫌悪」や「消極性」など、それぞれの部分的な特徴によって「成績の悪いダメな子」「学校に来れないダメな子」「おとなしいダメな子」と丸ごと否定される

  15. こういう否定的な評価のシャワーを浴びつづけてきたこどもは、常に傷つきやすく、教師のちょっとした注意や叱責によって、自分が丸ごと否定されたような感じで傷つき、落ち込んだり、いじけたり、過剰な反発を示したりすることになる。

  16. 成長に向かうエネルギーの一つである青春期の攻撃性が、競争と管理の圧力、「よい子」への囲い込みのなかで封じ込められることによって内攻し、弱いものいじめや衝動的な暴力,自己破壊といった破壊的な攻撃性に姿を変えて噴出してきている。

  17. 子どもには、自分がストレスを溜めて苦しいのは、まわりのせいではなく自分がダメな人間だからだという意識が強い。だから、他人に自分の苦しさを見せることが出来ないでいる。

  18. また、自分が「泣き言」をいうと親や友人をしんどくさせてしまう。自分のことで心配をかけたくないと気遣って苦しさを出せない子どももいる。

  19. 「明るく、前向きにがんばらなければならない」という意識が子どもの心を支配する強迫観念になっているようだ。