2001年 01月06日 土曜日

 近代史文庫での報告骨子


   12月のうちに「近代史文庫」から新年会のご案内の往復はがきが来ていた。久しぶりに顔をだしてみようかなあ、と思ったのだが、年末の諸事多端のおりからつい返事を出すのを忘れていた。

 それで今日、事務局のYさんから確認の電話があったのだが、これはびっくりしてしまった。あのはがきの下のほうに、新年会の後に研究会があってそこで忘暮楼の報告を頼む、と書いてあったのだそうだ。それも、報告と討論と含めて3時間、本格的なのである。それが、あ、あした1月7日だというのである。新年早々の大チョンボ、しかし、これから報告者を変更することもできまい。ということで、今日の日記は報告のレジュメである。

 

韓国人戦時動員実態調査とその後

門外漢の暗中模索・五里霧中

1 この調査の動機 1991年夏、発見されたばかりの別子山村韓国人労務者墓をお参りし、韓国の肉親の50年間の嘆きを知らぬままうかうかと生きてきた自分が日本人として恥ずかしいと思い、何かをしなければならないと決意した。
  経過1991年 別子山村で植民地朝鮮から動員された韓国人労務者の墓が確認された。以後、調査活動に入る。
1995年 韓国で聞き取り調査
1996年 調査報告『住友別子銅山で<朴順童>が死んだ』刊行
2 韓国人の反応1 もしもこのような真実を明らかにしようとする日本人がいなかったならばここ別子銅山で死んだいった朴順童の無念の死も、色あせた歴史の中にうずもれてしまい永遠に忘れられるところだった。遅くなりすぎないうちに政府期間と各種団体の組織的で精力的な調査活動が待たれる。(「月刊アリラン」)
3 韓国人の反応2 本来我々がしなければならない調査をやってくれたことを感謝したい。(韓南大学での調査報告集会で)
4 調査を終えての感想1 等身大の歴史像の共有が大切。
○「徴用」(韓国)か、「強制連行」(日本)か
5 実態12年契約。1941年は自分の意思で応募。1944年は警察から村へ割り当て、里長の指示。(呉永禄さんの証言)
6 実態2礼山郡と燕岐郡での動員ぶり(住友関係)
○礼山郡は12面・邑すべてから動員 100名
○燕岐郡は7面・邑すべてから動員 84名
7 実態3@住友鴻之舞金山では、粗末な食事、厳しい管理、脱走すればタコ部屋
A軍需産業の別子銅山は、案外自由、コメの飯、脱走なし
8 調査を終えての感想2 しかし募集も斡旋も強制労働には変わらない。
○「こっちへきたらそれまでですよ」(牧山さん)---隷従のみの生活、北海道のタコ部屋
9 実態4「あのころは朝鮮の人だけでなく日本人も職場を逃亡できないように管理されていたんですよ」(別子山村和田村長)
10 実態5住友別子鉱業所住友各社殉難名簿
昭和19年3/6日本人事故死 3/17日本人事故死 3/30日本人事故死 5/3韓国人事故死 5/8日本人事故死 5/13日本人事故死
 ○消耗率・戦死と同じ
11 調査を終えての感想38・15を「解放の日」として、アジア人と共有することが大切だ。

 戦後政治を生んだものは戦争の終結というよりは、皇軍の無条件降伏が引き金となって引き起こされた大日本帝国の崩壊であった。「終戦記念日」とか「敗戦記念日」とかいった言い方はこの事実に目を向けさせないのであった。
12 研究者への期待戦時中の住友別子銅山を研究して欲しい。増産、増産の体制の中での収奪と利潤。8.15時点での韓国人労務者数すら未公表。
13 日本帝国と日本国の断絶/連続1 

  1945.8.15の意味

「敗戦」「終戦」「大日本帝国の崩壊」
○ 1945年を境にして日本は台湾・朝鮮という植民地を失った。満州での権益を失った。絶対権力者としての天皇を失った。皇軍を失い、教育勅語を失い、徴兵制をうしない、治安維持法を失った。つまり日本帝国が崩壊した。
14 日本帝国と日本国の断絶/連続2 

  軍人恩給

本当に「大日本帝国」は崩壊したのか
○軍人恩給(213万人-1980)、戦没者遺族年金(恩給の半分、最低年54万円)が1953年復活 ---大日本帝国と天皇のために戦ったものに対する年金を日本国国民が支給している不可解さ
15 日本帝国と日本国の断絶/連続3 

  日本共和国と日本国

 大日本帝国は戦後の日本にしっかりと「保存」されている。今日に至っても日本の政治・文化の不動の大黒柱は「天皇護持」である。8月2日付朝日新聞に一橋大学教授鵜飼哲さんが「保存のための忘却」という表現でこのあたりの事情を分析しておられる。

 戦後東アジアの国々は「民国」あるいは「共和国」として自国の体制を規定した。日本は国民主権を宣しながら「日本帝国」の「帝」を抜いただけで「民国」とも「共和国」とも称しなかった。
 「このことが帝国の記憶を潜在させることになった。もともと記憶と忘却は単純な対立ではない。記憶は保存、忘却は抹消だと思いがちだが、むしろ保存するためにとりあえず忘却することがある。原型保存するための当面抹消。つまり日本国を提示することで、大日本帝国が保存処理された。」

16 日本帝国と日本国の断絶/連続4 

  軍人墓

 戦時中から今日まで絶えることなく建立されつづける皇軍戦没者の墓標(軍人墓)を各地に訪れながら思うことはこの「忘却」と「保存」の問題である。
愛媛、徳島、高知、長崎。
背後に働く力
17 日本帝国と日本国の断絶/連続5 

  明治国家の政治的伝統

坂本多加雄さん:「日本の近代2 明治国家の建設」(中央公論社)

   天皇の国事行為は内閣の「助言と承認」によるが、じつは、この規定は、帝国憲法の国務大臣の「輔弼(ほひつ)」に由来するのではないか。

このことを前提に、@国会が「国権の最高機関」であると宣言、Aそれに基づく議院内閣制の規定、B天皇が国会の使命に基づいて総理大臣を任命する 、といった「国民主権」の意味を考えると、それは議会が長い歴史を経てついに天皇に最も近い距離に位置することになったあらわれと見ることができるのではないか。

 私たちは、戦争をはさんで大きな変革に際会しながらも、明治国家とともに形成された政治的伝統の中に依然としているのではなかろうか。

18 日本帝国と日本国の断絶/連続6 

 明治維新の問い直し

浜野輝さんの『H.G.ウェルズと日本国憲法』:

「ここで思い出すのは明治維新である。当時、せっかく《文明開化》の路線が打ち出されたのに、一方、それとは全く水と油の《王政復古》が唱えられて、妙な二本立の路線になってしまった。だから、わが国は確かに,技術的・物質的には近代化されたが、社会的・思想的にはむしろ古代化され、ついに分裂症に陥ってしまった。藩閥明治体制のこの矛盾の破綻がまさに四〇年前のあの敗戦だったのである。《尊王開国》により、それまで歴史の片隅に逼塞(ひっそく)していた原始的・古代的存在の天皇をわざわざ引っ張り出してきて果たしてよかったかというと、顧みてはなはだ疑問ということになろう。

 かりに《佐幕開国》により将軍徳川慶喜を大統領にでもしていたら、もともと彼には神がかったところはないから妙に絶対化されず、当然かなりの波瀾曲折はあったにしても、文明開化はすべての分野に着実に広く深く進行したであろう。」

19 正味勉強になったこと @友達になるのが一番。「ナヌムの家」で酒盛り。「ワンコリア こども美術展」。
A平和のための友情、友情のための理解、理解のための言語
B人間らしさを失わないためには、一人前になりたがらないのが一番
Cアジアに謝罪・補償できる政府、明治政府の政治的伝統と決別できる政府を作ることが日本民衆の最大の戦後処理
Dパソコンはおもしろい。
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