2001年 1月2日 火曜日

 21世紀はどんな100年に
 なるのかなあ


   21世紀のはじめに当って新世紀はどんな100年になるのか、考えてみたい、と思っているのだが、そんなことをかんがえようとするとぴたっと筆が進まなくなってしまった。皆目見当がつかない。

 100年前に遡ってみると、西暦1900年には7月に第1回総選挙があり、10月末に教育勅語の発布、11月に第1回帝国議会召集と続いた。

 時に夏目漱石は33歳。この年英国へ官費留学した。当時の書簡を斜め読みしてみたが、新世紀云々といった話は一向に見当たらない。

 香港から高浜虚子へ「はやくお茶漬けと蕎麦を食いたい」と書き送ったあとで、シンガポールからは奥さんへ「この土地の日本人の多数は醜業婦にて印度の腰巻に綿チリメンの羽織に一種特別な下駄などをはきて街上を散歩いたしそうろう。一種奇的烈の感をおこさしめそうろう。」と海外での日本人の姿を生々しく書き送っている。

【注】1914年に書かれた山室軍平の「海外醜業婦」によると、マレー連邦に渡来する日本人は、漱石が訪れた翌年の1901年には535人だったが1911年には2029人となった。1911年の数字の内訳は男337名にたいして女1692名で、男1人が女五人を連れて商売をしている勘定になる、と指摘している。いわゆる「からゆきさん」のことである。1914年当時外国にいる日本人は約30万人でそのうち約1割が売春婦であった。

 しかし、それでもって日本の現実を云々しようというのではなく、話はすぐに熱帯植物の話に移る。さらに、鉄棒をしていて知人にもらった万年筆を壊してしまったとか、パリの道路は広いとか、下らぬ下女でも美人が多いとか、まあそんな話がつづいていく。

 来年から始まる新しい世紀にどんなことが起きるのか、戦争はあるのか、あるとしたらどんな戦争になるのか、大日本帝国はすっと安泰なのか、もうすぐ(翌1901年)生まれる皇太子がどんな天皇になるのか、大人たちはどんなことに生きがいをもつのか、子供たちはどんな事件を起こすのか、夏目漱石はそんなことには関心を示さない。

 実際は関心をもっていたとしてもそんなことは誰にも分るはずがないのである。忘暮楼も21世紀の予想はやめにしたほうがよいのだろう。